雑記

できないことを前提にした叱り方は嫌いである

叱り方一つで人は追い詰められる

仕事にも慣れてきて出来ることの選択肢も増えてきた私。

選択肢が増えた分、一つの行動に対して複数個の考えが出てくる。「これは二つの方法のうちどちらだろうか」「これが終わったらあれとこれ、どちらに手を出すべきだろうか」など悩むところが多くなる。その分、雑な部分も出てしまい叱られることも多くなってきている。

 
単純にできていないのを叱られるのは当たり前であり良いのだが、できないこと・分かっていないことを前提した叱り方は嫌いである。

 
物を移動させるために別の物を動かしたら「それはあえてそこに置いてるものなんだから動かすな!」と言われ、そこにあったら物の移動もできないから動かしたのだ、と説明をしようにもその間もなく「ったく、何のために置いてるのか分かってないでしょ」と言われ、いやいやそれは分かってるけど移動できないから、と説明と思っても「ちゃんと考えたり聞いたりして仕事しろ」と次早に言われ、こちらの言い分を全く聞こうとしないのだ。

 
分からないことは聞け → 聞いたら怒られる
分かることをやっている → 分かってないでしょと怒られる
これの次にやろうとあえて残してる → ほらできないと怒られる
作業ごとに完了の報告をする → いちいち言わなくていいからと怒られる
まとまってから報告をする → 次に何をするか考えてるのかと怒られる

 
何をするにしてもダメ出しや怒りに触れることが多いのだ。八つ当たりなのか、私のことが嫌いなのか、粗探しをしているのか、何をしていても相手の機嫌を損ねるようなのだ。そして、出来ている箇所については褒めることも助言することもないのでただ単純に嫌な思いを残すだけである。

「あぁ、そうですか」と心の中でスルーすることもあるが、精神衛生上良くない日々である。

 
突き詰めれば私が一つ一つの仕事に対してスピードと丁寧さと動きの悪さ、報連相ができていない、全体を見て適切な動きをできてない、など半人前以下の人間なせいなのである。できていないから怒られる、叱られるのである。

ただ、きちんとした説明や指示もなしに適切な動きができるはずもないので、「あぁ、この人は指導や教育が下手なんだ」と思うようになってきた。

 
こういう人に対しては安易な返事はせず、報連相と確認を嫌というほどして行動をしていかなければならない。ああ、面倒くさい。精神的にも苦手な部分もあるので余計にしんどい。あぁ、本当に面倒くさい。

 
そう思いながら仕事をする日々である。